週刊 ピクトくんのハローページ

特に書くジャンルは決めてない!自分の好きな事や経験したこと、社会に対する意見を無差別に投下していく!趣味は写真と鉄道、バンドリ・プリティーシリーズ等のアニメ鑑賞。

もうすぐ3Gケータイ終了!安全なガラケーと誘惑の多いスマートフォン


いよいよ来年の1月31日をもって、ソフトバンクが3Gサービスを終了する。ドコモはまだ先(2026年3月31日)だが、僕が契約するauはとっくに終わっている。

一部では3G終了=ガラケー全廃と勘違いしている人もいるらしく、それをうまい事にスマホを買わせるショップもある。

しかし、まだ端末すべてがスマホになった訳じゃなく、ガラケー端末は3キャリアすべてにおいて細々と売られている。もちろん4G対応の高性能な物だ。

頑なにガラケーが欲しいと言えば、大抵のショップは売ってくれるし、むしろスマホを進める店員の方がどうかしているw

スマートフォンは同調主義の象徴

そもそもスマートフォンはいつ出来たのだろうか?

厳密に言うと、スマホのように多様な機能を持った携帯電話は1996年に存在していた。

だがそれは簡単なスケジュール帳やメール機能などが入っただけの電子手帳みたいな物で、パソコンに近い現在のスマホとは違っていた。

 

2000年代に入ると主題の3Gサービスが始まり、携帯自体が高機能化へ進んでいくが、その中でインターネット・PCメール利用に特化した高機能機も進化していった。

タッチパネルが一般化する前はパソコン仕様の配列で、無駄に小さいボタンがずらーと並んだ端末がほとんどだった。OSもandroidiOSがあった訳じゃなく、windows mobileなるソフトが使われていた。2007年ごろなんかこう言った物はほとんど人気がなく、ビジネスマンや機械オタクの有志しか好まないジャンルだった。

 

しかし、2008年はそんな携帯電話の在り方をすべてくつがえすマシンがやってきた。



iPhone 3Gを覚えてる人は多いだろう。フォルムは美しく、キーボードなんかどこにもない。イヤホンをつなげば簡単に音楽が聴けるし、それまで携帯では難しかったYouTubeを見ることもストレスなく出来る。そのうえWebブラウザーはPC仕様の豪勢な物だった。

 

もうここで、今主流のスマートフォンは出来上がったのである。

当時僕は小学生で、丁度携帯電話を持ち始めた時期だった。なんとなくiPhoneは子供が持つものじゃないと思っていた。

 

2010年、対抗馬としてandroidスマホが登場すると、人々はだんだんスマホへ注目するようになった。どこでも動画が見れることや、ゲームで遊べることが魅力的で、ガラケーは徐々に下火となった。

 

あれから10年以上立つが、スマホはどうも人間関係で束縛される機械に思えて気味が悪い。Twitterは見るだけでどんどんのめりこむし、しかも書いてあるのは愚痴やら面白画像やらエロイラストばかり。LINEだって既読無視すんなとか言ってくる奴もいれば、グループチャットで喧嘩発生。

 

あれが手元にあると必然的に見る癖がついてしまい、心を紛らわすために歩いてる時でも、風呂に入る時でも必ずTwitterを閲覧する。歩きスマホが問題化しているが、気を付けている人がどれだけいるのか心配になる。もうやかましい!

簡素なガラケーに魅せられて

2年前から再びガラケーを使っている。動画は見づらいしゲームは全く出来ないが、電話しやすい形が気に入って何とか使えている。

でも、本当はこのくらいが理想的かもしれないね。そもそも”携帯電話”なんだし、電話やメールの連絡が出来れば十分だよ。スマホを辞めたおかげで、仕事中もほかのことが気にならなくなったし、家に帰ってから遊ぼうという気持ちが強くなった。

 

ていうか、ガラケーってまだデザインの多様性が残ってるよね。

 

僕の現行機種は「G’z One Type-XX」って言うんだけど、大好きなスーパー戦隊が持ってそうな無骨すぎる見た目がかっこいい。どれが僕の携帯だか見分けがつくし、すべてiPhoneで統一された周りと差別化もできる。

 

インターネットやゲームは、ゆっくりお家で見れば存分に楽しめるから。テレビだって家で見るから味わえるものがあるんだよ。

 

あとがき

この先、人類の生活がどうなって行くのかはわからない。しかし、AIコンピュータによる徹底管理社会が来ることはもう決まっている。

 

その時にはもうガラケーなんて廃れてるし、スマホも無くなっているかもしれない。

 

だけど、あと10年はガラケーがあったらうれしいし、でなくても4G回線終了まで今のケータイを使い続ける。

 

22年間3G回線を運用したソフトバンクの皆さん、お疲れさまでした。